もし、進化論が正しければ、中間型の化石が簡単に見つかるはずだが、なぜいまだに見つからないのであろうか。人々は 「化石の記録が完全ではないから」というダーウィンの解釈を繰り返しているが、よく考えてみれば、化石は一定の確率に従って形成されているはずだが、どうして中間型のものだけが漏れているのか。
観察、仮説、検証という「三段式の論理方法」は、今日でもやはり、実証科学者たちが自然規律と抽象科学の定理を発見するために依拠する原則である。ダーウィンの『種の起源』は、前の2段階だけを完成した。最後の「検証」に関しては、その後の人が1世紀あまりにわたって努力を続けてきたが、今になっても、納得できるような結果がまだ得られていない。それどころか、現在の各分野での科学の進展状況と進化論自体の局限性から見れば、進化論の最後の段階を完成させることは、ますます望めなくなっている。
(続く)